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| 平成15年6月5日放送 | ||
| 真珠養殖の三勇士 〜パラオ共和国大統領来島の目的〜 |
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私が1991年6月にグアムで開催された太平洋学術会議に赴き、その帰りに市民大学ややしの実大学の皆さんと一緒にパラオ共和国を訪問しました。その時に大統領に就任されて、まだ半年もたたないレメンゲソウ大統領とお会いしました。その時、レメンゲサウ大統領に機会があれば石垣においで下さいとお願いしていたわけです。その要望がかなえられ、5月17、18日の1泊2日で石垣市、石垣市民とのあたたかい交流が実現しました。 大統領はとりわけ石垣島での黒真珠の養殖に大変関心を持っておられ、黒真珠の養殖場視察が石垣訪問の目的のひとつでした。5月18日に琉球黒真珠をご案内し、そこでは琉球真珠株式会社の代表取締役会長の渡嘉敷進さんをはじめ大変あたたかく歓迎していただきました。 パラオでは有名なミキモトパールによって随分前に黒真珠養殖が一度行われていたようですが、順調にいかず結局養殖をパラオでは断念しています。また、1914年ころミキモトパールは沖縄全域で真珠の養殖にとりかかっており、その時に石垣島では、当初は観音堂の周辺で、後に川平湾で養殖に入ったという経緯があります。しかし結局うまくいかず、黒真珠養殖の大変厳しい壁を何度も挑戦しながら成功しえなかったという経緯があるようです。戦後の昭和26年、球陽真珠海綿養殖株式会社が川平湾で誕生しています。本土側と沖縄側の資本を併せて約200万B円という資本金で会社が設立され、黒真珠養殖に再び挑むということになりました。これは当時、沖縄では初めて外資(本土側の資本)導入の第一号となり注目を集めました。しかし母貝などの生産が順調にいかず、黒真珠養殖は大変難しいということがその経緯の中で明らかとなっています。そしてこの会社も実質的に倒産していきます。 しかしそこで石垣島の3名の方がこの黒真珠養殖を継続しようと決意し、挑戦されました。現在会長の渡嘉敷進さん、故南風野喜孝さん、仲野源一さんの3名の石垣島出身の黒真珠養殖に情熱を持つ方々でした。3名は給料もなければその日の生活も困るという状況の中でしたが、情熱をもって黒真珠養殖に生涯を投入するということで始めたわけです。そしてその3名に襲ってきたのはやはり台風や異常気象で、多くの自然災害の中で大変厳しい時期を迎えたようです。しかしそのような中で、とうとう1963年、台風で痛めつけられた黒蝶貝の中から真円黒真珠が45パーセント(123個)収穫されます。その後技術的に完成し、黒真珠養殖が順調にいくようになってきました。1971年、ようやく株式会社として株主へ配当を行うまでに順調に会社経営が軌道にのり、そこで20年がかりの養殖事業が成功に導かれたということになりました。渡嘉敷さん、南風野さんは川平の浜崎御嶽へ毎日黒真珠養殖成功を祈願してたそうです。はじめて獲れた黒真珠はその浜崎御嶽に献上し大変な深い感謝を捧げたということがよく話されます。3名はその名を真珠養殖の歴史に特筆されるべきであり、大変な敬意を捧げます。今日琉球黒真珠は世界で唯一の人工的に生産できる琉球真珠として、琉球パールという名前で世界に知られております。 この黒真珠の養殖については多くの方々の努力が、大変私達の心をうつものがあります。私達はこのことを多くの方々に知ってもらう必要があると思います。今後川平湾は単に観光地ではなく、世界で最初に黒真珠を人工的に養殖をした場として真珠の歴史の中に永久に語り伝えられることになります。
「市長のおはようロマンメッセージ」6月5日放送分要旨です。
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