17.宮良橋

 宮良川の河口付近に初めて橋が架けられたのは、1658年(順治15)のこととされています。当初は石積みの橋で、『八重山嶋由来記』(竹原家文書)によれば、橋の長さは、「壹町弐拾間」(約145メートル)、幅は「三間」(約5.4メートル)と記されています。記録の上からは、八重山における初めての架橋工事であり、橋の架設に重要な役割を果たした人物としては、元宮良頭職・宮良長重の名が今に伝えられています。
その後、石積みの橋は木橋へと架け替えられますが、その木橋も1771年(乾隆36)の大津波の際に流壊。津波4年後の1775年(乾隆40)には、河口付近から、およそ850メートル上流のウードーと呼ばれる所に長さ30間(約54メートル)の丸木橋が架けられたものの、津波以降久しく河口付近に橋が架けられることはなく、その往来は干潮時を見計らって浅瀬を伝って渡るなど不便を余儀なくされたと伝えられています。
河口付近に橋が再建されたのは、明治を迎える7年ほど前の1861~62年(咸豊11~同治元)にかけてのことで、流刑人として滞在していた仲尾次政隆が私財を提供するなど中心的な役割を果たし、長さが「七十五尋」(約135メートル)、幅が「二間」(約3.6メートル)、高さが「一丈三寸」(約4.2メートル)の木橋が架けられました。

 人びとは、その木橋の完成を喜び、仲尾次政隆の功績を称えて次のような歌を作っています。

    宮良川節

                                意 訳

一、仲尾次主ヌ ウ陰ニ    仲尾次さまのお陰で

  宮良大川ヤ              宮良大川に

  宝橋カキティ            宝のような橋ができ

  見事デムヌ              見事なようすです

一、宝橋上カラ              宝の橋の上から

  通ユル人々ヤ           通う人々は

  眼眉打チ張リティ       眼眉が生き生きとして

  笑イフクイ              笑顔に満ちています

                          (下略)

 宮良橋が鉄筋コンクリート橋に姿を変えたのは昭和8年(1933)のことです。同工事の竣工祝賀式典は同10年に行なわれ、その際には、架橋の沿革などを刻んだ頌徳碑が橋畔に建設され、今も残されています。

 現在の橋は、平成9年(1997)に架けられたものです。



文:松村順一
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