20.宮良(みやら)集落

 白保村と兄弟村とされ、歴史の古い村です。村の始まりに関しては『琉球国由来記』
(1713年)という史料に、「昔、西カワラ・東カワラという兄弟がいて、兄弟は水嵩、セツコマ、フタラマと住居を転々と移していたが、兄は宮良、弟は白保に居を定め暮らすことになった。当時人々は心の赴くままに暮らし、互いに争いが絶えなかったが、兄弟の徳を慕って次第にその周りに集まり、宮良村・白保村ができた。」と記されています。  1771年(乾隆36)当時の人口は、男570人、女651人、合計1,221人でしたが、大津波によって男443人、女607人、合計1,050人が溺死し、わずかに男127人、女44人、合計171人しか生き残りませんでした。そこで、小浜島から男148人、女172人、合計320人を寄百姓して(政策的に人口の少ない村や新しい村へ百姓・農民を移住させること)、人口を補充し、村を再建しています。その際、村の敷地は海岸沿いの旧地から内陸の高台地の漢田原に移転しましたが、後に、再び旧地に戻っています。また、小浜島からは、村に豊年のユー(世)をもたらす来訪神とされるアカマターの行事も受け継ぎ、毎年、厳粛な神事が行なわれています。  
 その後、1874年(明治7)に大きな台風があり、それ以前から、沖縄からのフンシーミー(風水師)のハンジ(判示)もあって、その年、後方の台地上に村の敷地替えを行なったのが、現在の宮良集落の位置といわれています。
 現在の人口は1,787人(内訳・男864人、女923人)、世帯数は756となっています。



文:松村順一
写真提供協力:松島昭司ほか
掲載した写真の著作権は撮影者(提供者)および石垣市にあります。
無断での転用・掲載はしないようにしてください。