44.伊原間(いばるま)集落

 1729年(雍正7)以降記録にみえる村で、かつての伊原間村は赤石集落の西方にあり、「内野村」とも呼ばれていましたが、明治期に至る頃、次第に現在地へと移ってきています。 戦後は集落の南方に沖縄本島の勝連村からの移民である船越団や宮古島からの自由移民の方々が入植し、広がりをみせているほか、最近は農村団地の建設やダイビング関係者などの移住によって、若い世代の入域があり、人口も増加傾向にあります。
 学校の設置は古く、明治期までさかのぼります。戦後は、白保小学校伊原間分校・白保中学校伊原間分校を経て独立校となりますが、北部地区の学校統合によって小学校は明石小学校に統合され、現在は伊原間中学校のみとなっています。 飲料水の確保は、古くからの井戸があり、それを利用していましたが、昭和35年(1960)12月に、高等弁務官資金によって簡易水道が敷設されています。現在は上水道によって給水されています。 電話は、昭和32年(1957)2月に、伊原間局の電話が開通し、昭和51年(1976)には、全国ダイヤル化によって個人電話の設置が広まってきています。  電気は、昭和39年(1964)4月に、自家発電により点灯(夜間のみ)。昭和41年(1966)6月には、八重山電力株式会社からの送電が開始され、終日点灯となっています。
 現在の人口は203人(内訳・男105人、女98人)、世帯数は95となっています。


文:松村順一
写真:大田将之
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