51.平久保(ひらくぼ)集落

 1500年頃に平久保加那按司という人物が活躍した村で、その当時、村は現在の平野集落あたりにありましたが、風水師の外間親雲上の指示によって、1702年(康煕41)に現在地に移転しています。その当時、5家族いたとされています。
 その9年後の1711年(康煕50)には、黒島から寄百姓(政策的に人口の少ない村や新しい村へ百姓・農民を移住させること)をして独立村(与人・目差といわれた役人が配置され、それらの役人が担当する行政的な区域をもった村。)となっています。
 平久保村の人口が一番多かったのは1771年(乾隆36)のことで725人と記録されています。
 その後、人口は次第に減って昭和20年(1945)当時は33人になっていました。
 そこに、宮古島などからの入植があり、現在の人口は79人(内訳・男41人、女38人)、世帯数は35となっています。
 平久保村の名は、方言でペーブグムラといいます。

文:松村順一
写真提供協力:松島昭司
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