54.平野(ひらの)集落

 古くから牧場として利用され、一面草地であった平久保半島の先端に新たな風景となる集落・平野が誕生したのは、昭和32年(1957)5月のことです。
 入植当初の戸数は60戸、入植人口は80人(内訳・男60人、女20人)でした。
 政府計画移民として入植した方々の出身地は、沖縄本島(北谷村、玉城村、コザ市、豊見城村、那覇市、北中城村、石川市、知念村、具志川村、勝連村、与那城村)、それと伊江島、久米島、南大東島、宮古(平良市、下地町、上野村、城辺町、多良間村)などとなっています。
 入植当初は、イモ、パイン、サトウキビ、落花生などを栽培していました。
 入植当初の道路の状況は、戦前からの道はあったものの、その道は車が通れるほど整備されてなく、バスは明石までの運行でした。その後、車が通れるほどに整備が進んだのは、入植後の昭和32年の後半になってからです。
 飲料水の確保は、入植当初は、近くの川から汲んできていました。その後、簡易水道が敷設されています。
 電話は、昭和33年(1958)12月に、共同電話が開通しています。
 電気は、昭和43年(1968)5月に、石垣島全島電化によって終日点灯となっています。
 現在の人口は46人(内訳・男25人、女21人)、世帯数は26となっています。

文:松村順一
写真提供協力:松島昭司ほか
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