戦前の西表島風景

更新日:2020年03月06日

白浜の炭坑村と仲良港

白浜の炭坑村と仲良港
〔昭和8年〈1933〉頃。西表島〕
写真・『望郷 沖縄』から

祖納村遠景

祖納村遠景
〔昭和9年〈1934〉7月16日。西表島〕
写真撮影・大島広

島じまをおおう緑の山々。その間をゆったりと蛇行して流れる大河。それは沖縄の他の島じまでは見られぬ島の風貌である。亜熱帯の雨と太陽が、豊かな島の自然を育んできた。人びとはそれと向き合い、生活を営んできた。
  山々のさまざまな恵みと稲作が人びとの生活を支えてきた。一方では風土病とまでいわれたマラリアが島びとの生活をおびやかしてきた。
  近代になって、西部地区の石炭の存在が注目をあびるようになり、新しい炭坑の集落が白浜や内離島、あるいは浦内の山中に形成された。船浮湾には、石炭を積む大型汽船が姿を見せるようになる。炭坑の村は、伝統的な村落とおよそその風貌を異にし、この島のもうひとつの歴史の顔をつくり出した。
  太平洋戦争が勃発するや、天然の良港である船浮湾一帯に要塞が築かれ、砲台がすえられた。しかし一発の砲弾を放つ機会もなく、敗戦を迎えた。そんな歴史を呑み込みながら、西表はいまも太古の姿をとどめている。(文・三木健)