台風災害

更新日:2020年03月06日

倒壊した校舎の跡かたずけをする人びと

倒壊した校舎の跡かたずけをする人びと 〔昭和8年〈1933〉9月。石垣尋常高等小学校〕 写真提供・花木章

猛烈な台風で大怪我を負った婦人の応急手当て

猛烈な台風で大怪我を負った婦人の応急手当て
〔昭和8年〈1933〉9月17日〕
写真提供・石垣島地方気象台

島の歴史は、ある意味では台風との闘いの歴史でもあった。今日のようにコンクリートの耐風性の家屋建築でなかったころは、台風の来襲にしばしば悩まされた。
  とりわけ、昭和八年(一九三三)九月一七日に八重山各地を直撃した台風は、風速五〇メートルを超える未曾有のもので、各地に甚大な被害をもたらした。当時の新聞報道によると、死者五人、負傷者一八人、全壊した家屋一、六〇六戸、半壊一、四九〇戸にも達し、農作物の稲は全滅に近い被害であった。学校の校舎も倒壊し二部授業を余儀なくされた。桃林寺山門の仁王像も倒れ、片腕をもぎとられた。
  それから一か月後にまた台風が来襲しダブルパンチを受けている。当時は世界的な不況下にあって、離島各地は疲弊していた。それだけに受けた被害も大きかった。それを機に校舎のコンクリートへの改築が検討された。台風の爪痕は、振興計画に打撃を与え、その影響は、八重山社会に長く尾を引いた。 (文・三木健)