御嶽

更新日:2020年03月06日

美崎御嶽

ミシャギィオン(美崎御嶽)
〔昭和10年〈1935〉頃。字登野城〕
写真提供・須藤ハマ

額づいて雨乞いの祈願をする神女たち

額づいて雨乞いの祈願をする神女たち
〔大正12年〈1923〉。鳩間島、友利御嶽〕
写真提供・宮良当章

八重山の御嶽は、神の常駐する所、期間を定めて来訪する所、本御嶽へ遥拝をする所などいくつかに分けられ、由来もさまざまである。ただ村びとにとって神に祈りを捧げる場所ということでは共通している。
  御嶽には由来が異なるようにそれぞれ性格があって、豊作を祈願する御嶽、無病息災を祈願する御嶽、旅の無事を祈願する御嶽、さらに細々と機能を持った御嶽がある。
  村中で拝する所、氏子集団で拝する所、家で拝する所と、その規模も拝し方も一様ではない。
  御嶽の全体的な構造は、入口(近年は鳥居が普及)・参道・拝殿・庭(拝殿と庭の位置が逆になっている所もある)・聖域となっており、石垣市、竹富町の御嶽はほとんどこの形式を踏んでいる。ただし、与那国町の場合は石垣市、竹富町の形式でくくることはできない。
  御嶽は神と村びとをつなぐ場所であり、村の祭祀儀礼の多くは御嶽を中心に行なわれている。
  御嶽にはトゥニムトゥ(宗家)があり、家長はカマンガー、チジビなどと呼ばれる管理責任者になり、家系の女性が祭祀儀礼を司どるチィカサになる。この原則は長い歴史の間に、宗家の断絶等で複雑な継承を余儀なくされた例もみられる。 (文・石垣博孝)