宮良橋の架橋

更新日:2020年03月06日

宮良橋の改修工事風景

宮良橋の改修工事風景
〔昭和8年〈1933〉〕
写真提供・山里栄助

宮良橋の改修工事風景

宮良橋の改修工事風景
〔昭和8年〈1933〉〕
写真提供・山里栄助

宮良川の河口付近に初めて橋が架けられたのは、一六五八年(順治一五)のこととされている。当初は石積みの橋で、『八重山嶋由来記』(竹原家文書)によれば、橋の長さは「壹町弐拾間(約一四五メートル)」、幅は「三間(約五・四メートル)」と記されている。記録の上からは、八重山における初めての架橋工事であり、橋の架設に重要な役割を果たした人物としては、元宮良頭職・宮良長重の名が今に伝えられている。
  その後、石積みの橋は木橋へと架け替えられ一七〇四年(康煕四三)には橋脚部に畳石が敷かれるなど修補の手が加えられつつ人びとの往還に供されていたが、その橋も一七七一年(乾隆三六)の大津波の際に流壊。津波四年後の一七七五年(乾隆四〇)には、河口付近から、およそ八五〇メートル上流のウードーと呼ばれる所に長さ「三〇間(約五四メートル)」の丸木橋が架けられたものの、津波以降久しく河口付近に橋が架けられることはなく、その往来は干潮時を見はからって浅瀬を伝って渡るなど不便を余儀なくされたと伝えられている。
  河口付近に橋が再建されたのは近世末期の一八六〇~六一年(咸豊一〇~同一一)にかけてのことで、流刑人として滞在していた仲尾次政隆らの尽力により、延べ人数、二、一七四人と一〇二石余の工費をかけて、長さ「七五尋(約一三五メートル)」、幅「二間(約三・六メートル)」、高さ「一丈三寸(約四・二メートル)」の木橋が架けられた。
  宮良橋が鉄筋コンクリート橋に姿をかえたのは昭和八年(一九三三)のことで、写真はその当時の作業風景のひとコマを記録したものである。同工事の竣工祝賀式典は同一〇年に行なわれ、その際には、架橋の沿革などを刻んだ頌徳碑が橋畔に建設され、今も残されている。(文・松村順一)