赤瓦とハーリーの頃

更新日:2020年03月06日

ハーリーで賑わう桟橋と瓦葺き、茅葺きが続く家並み

ハーリーで賑わう桟橋と瓦葺き、茅葺きが続く家並み
〔昭和28年〈1953〉頃。字石垣から桟橋方面を望む〕
写真撮影・平安名常功

白い道と瓦ぶき、茅ぶきが続く家並み

白い道と瓦ぶき、茅ぶきが続く家並み
〔昭和28年〈1953〉頃。字石垣から字新川方面を望む〕
写真撮影・平安名常功

赤瓦の家並みが続き、美崎の海でのハーリー(爬竜舟)が遠くに見える。そして自動車の影さえ見えない道を、おおぜいの人びとが歩いている。昭和二八年(一九五三)頃の市街地風景のひとコマである。
  写真は字石垣から字大川、桟橋方面を望んだものである。涼しげな赤瓦の屋根、そして白い道が、かつての特色ある石垣の街の風情を醸し出している。
  白い道をいそいそと歩いている人びとは、ハーリー会場へと向かっているようである。その頃のハーリーは、桟橋から西方に向かって往復し、競漕していた。
  写真をよく見ると、桟橋に集まって応援している人、護岸に座って見物している人などが写っており、当時の熱気がみてとれる。
  ハーリーが行なわれるのは、旧暦五月四日。その頃は梅雨明けの時期である。ハーリー鉦の音とともに南国の暑い夏は本格化した。
  鉦の音で思い出すのは、当時、〃夏の顔〃となっていたキャンデー売りである。
  ジットリとした蒸し暑い陽射のなか、キャンデー売りのオジサンたちが、自転車の荷台にキャンデーを入れた箱を乗せて、「チャラーン、チャラーン」と鈴の音を鳴らしながら通りを巡ると、子どもたちが、どこからともなく小銭を持って集まってきた。無論、人出の多いハーリー会場も格好の商いの場となっていた。
  写真からは、なつかしい音と風と匂いがよみがえってくる。(文・松村順一)