島じまの風景-昭和30年代-

更新日:2020年03月06日

夕なぎのなか、静かに進む離島航路の帆船 〔昭和30年〈1955〉頃。石垣港地先〕写真提供・山里節子

夕なぎのなか、静かに進む離島航路の帆船 〔昭和30年〈1955〉頃。石垣港地先〕写真提供・山里節子

人家が点在する崎枝の移住地と一周道路

人家が点在する崎枝の移住地と一周道路
〔昭和30年〈1955〉頃〕 写真提供・山里節子

ひっそりとたたずむ山々。満々と水をたたえた水田地帯。姿を見せはじめた開拓移住地の村むら―。昭和三十年代の八重山の島じまは、開発が本格的に始まる前の姿をとどめている。
  その頃を境にサトウキビやパインが基幹産業として大きく伸び、水田が次々に畑に変わっていった。島じまの風景が戦前から戦後の一時期にかけての面影を残していたのも、あるいは昭和三〇年代までではなかったか。

勝連団の入植地と伊原間集落遠望

勝連団の入植地と伊原間集落遠望
〔昭和30年〈1955〉頃〕 写真提供・山里節子

悠然と帆をかかげて八重山内海をゆく帆船の光景も、田舎の道をゆくオンボロバスの姿も、その頃を境に姿を消してゆく。昭和四七年(一九七二)の日本復帰後に始まる大々的な土地改良などの公共事業で、島はその相貌を変えてゆく。林が農地や宅地に変わり、白砂が埋め立て地に変わる。戦後に残っていた原風景とでもいうべき島の光景が、急激な時代の波にさらされる。遠い昔の原風景は、いまは私たちの記憶の底に眠っている。(文・三木健)