牧場のある風景

更新日:2020年03月06日

牧場の垣と久宇良牧場遠景

牧場の垣と久宇良牧場遠景
〔昭和31年〈1956〉4月1日。明石集落南方から望む〕
写真提供・山里節子

放牧風景

放牧風景
〔昭和25年〈1950〉頃。平久保牧場〕
写真提供・牧野清

茅の覆う山並み、白砂に縁取られた海浜、それに続く澄んだ海、それらを背景に、山裾をめぐる石積みがあり、そのなかで、のどかに草を食む牛たちがいる。そんな石垣島の牧場風景は他の島じまでは見られない独特なものがある。
  石垣島における牧場経営の歴史は古く、記録をひもといていくと、それをうかがわせる最も古い記録としては、オヤケアカハチの乱のあった一五〇〇年当時、平久保半島に平久保加那按司という族長的な人物がいて、牛馬を四~五百頭も飼育していたという記述(『慶来慶田城由来記』)がみられる。
  そのような古い歴史を刻む牧場の管理運営はマキィニンジュ(牧人数)といわれる人びとによってなされてきた。
  それらマキィニンジュは時に石積みを補修し、時に火入れをなしつつ牧場とともに生きてきた。また、今でも、毎年旧暦の二月と九月にはマキィヨイ(牧祝い)と称し、牛馬の繁盛などを祈願する祝いを行なっている。その折には、勇壮な牛馬の追い込み風景が展開されるほか、訪れた人びとには、牧場ならではの牛汁が振る舞われ、かつては、その年に誕生した牛馬の所有関係を示すミンバン(耳判)付けの作業も行なわれていた。
  長い牧場経営の歴史は、独特な風景をつくりだし、特色ある伝統的な習俗も生んできた。同時に、人里遠い環境は、動植物たちが息づく格好の場となり、絶滅の恐れのある貴重な植物が人知れず花を咲かせるなど、牧場の存在は在来種の保存の面でも大きな役割を果してきている。
  山、海、人、牛馬、動植物が一体をなし、ゆるやかに時を刻んできた空間、それが牧場であり、今でも島の原風景をしのばせている。(文・松村順一)