住まいと暮らし

更新日:2020年03月06日

屋敷囲いのフクギが立ち並ぶ茅ぶきの民家

屋敷囲いのフクギが立ち並ぶ茅ぶきの民家
〔昭和33年〈1958〉8月。白保集落〕
写真提供・本田安次

庭先に穀物が干された民家

庭先に穀物が干された民家
〔昭和31年〈1956〉頃。竹富島〕
写真提供・山里節子

一般に石垣島の家屋は、風向きを考慮して南向きに建てられている。また、かつては、たいていの屋敷の周囲にはサンゴ石の石垣が積みめぐらされ、その内側にフクギが防風・防火林として植えられていた。門を入ると、門と家屋との間にナカグスク(門内の石垣)が設けられ、外部からの視線をさえぎる目隠しの機能をしており、また外部から侵入する悪霊を防ぐ役割をも担っていた。母屋の西隣に別棟のトーラ(台所)があり、その北西側には便所と豚小屋が設けられていた。
  海岸近くの漁村集落は茅ぶきの住宅が多く、屋根を低くし竹垣を張りめぐらしてあった。その竹垣も台風時には防風の役目を果たしてくれた。
  昭和三〇年代以降、茅ぶきの家屋は瓦ぶきに建て替えられていった。その家屋の建築にあたっては、家主は数年前から山の木を切り出し、角材にかたどって虫食いを予防するためスーガン(潮乾)といって海水の中に三~四か月も浸したりして準備した。
  家造りは、先ず日取りを決め、当日は棟梁が柱の立つ位置を指図し、基礎の地固めには近所の女性たちが中心になり、ユンタ、ジラバを歌いジィーピシィ(地固め作業)を行ない気勢をあげた。棟木を載せ、瓦のふき上げの日にはユイバフ(結・相互扶助による共同作業)の人たちによって屋敷の石垣も積みめぐらされた。
  平成の今日、島は近代的な建築に変わり、その赤瓦の家屋も少なくなり、住宅としての茅ぶきは島から完全に姿を消してしまった。
  涼風を呼び、人びとの憩いのフクギの木陰も街から少なくなり、その記憶も薄れつつある。(文・石垣繁)