井戸のある風景

更新日:2020年03月06日

井戸からの水汲み風景

井戸からの水汲み風景
〔昭和38年〈1963〉頃。波照間島〕
写真撮影・宮良高弘

満杯のバケツの重みが肩にくい込むなか、砂礫の道を 裸足で急ぐ婦人

満杯のバケツの重みが肩にくい込むなか、砂礫の道を
裸足で急ぐ婦人〔昭和34年〈1959〉8月。波照間島〕
写真提供・本田安次

屋敷の片隅に蓋をかぶせられて沈黙したままの井戸。あの家でもこの屋敷でもというように、今は幻となった井戸端の情景が目に浮かぶだけだ。屋敷のほぼ西南角にある井戸端は水汲みや洗濯、水浴び、イモ洗いなど、生活のなまの部分が集約する場であり、朝から夕刻まで生き生きとした所であった。釣瓶の容器を井戸に突き落とし、その縄をたぐり揚げる婦女子の手さばきも手馴れたもので、合間には〃井戸端会議〃にも口を出し、はじけるような笑いをさそう。
  一般にカーと称した井戸には、海岸近くの水の塩辛い井戸(スーミジィカー)と、内陸部の水の甘い井戸(アマミジィカー)とがあり、月夜には、そのアマミジィを求めて婦女子が連れだって水運びに精出したこともしばしばだ。天秤棒でかつぐ満杯のバケツなどには水がこぼれないようにと桑の葉のついた小枝を表面に浮かせ、せっせと運んでいた光景も今はない。上水道が完全に利用されている現在、井戸はほとんど顧みられずに今も沈黙したままである。(文・崎山直)