子どもたちの情景

更新日:2020年03月06日

パッチン(めんこ)に興じる子どもたち

パッチン(めんこ)に興じる子どもたち
〔昭和34年〈1959〉8月。公設市場〕
写真撮影・久地岡榛雄

子守をする姉たち

子守をする姉たち
〔昭和34年〈1959〉8月。波照間島〕
写真撮影・久地岡榛雄

海で水遊びに興じる子どもたち

海で水遊びに興じる子どもたち
〔昭和37年〈1962〉6月。字新川〕
写真撮影・有田静人

よく家事の手伝いをした。女の子は弟や妹をおぶってファームレー(子守)をした。男の子は山羊の草を刈ったり、井戸の水汲みをしたりした。また、よく外で遊んだ。今のように車社会になる前のことで、路地が子どもたちの遊び場であった。
  テレビやファミコンもない時代で、男の子は木登りや三角野球、陣取り、イッパー、サールヌタマ(シロツブの実)やビー玉でのゲーム、女の子はゴム跳びやお手玉、ままごとなど創造的な遊びを考案した。集団での遊びが主流だった。子どもたちは裸足かゴムゾーリばきが多く、男の子はポケットに小刀を持ち歩いた。遊びの道具を細工するに欠かせぬものだった。行動派の子どもたちは、いつも生傷が絶えなかった。
  美崎の浜(現在の石垣市美崎町)がまだ海であった頃、四カ字の子どもたちのオンダー(水遊び)の場であった。暑い日中はさけ、陽が少し西に傾きかけた頃から海に入ったが、帰るときには太陽熱の残る護岸のコンクリートに体を当て、パンツや体を乾かしたものだ。タオルもない時代だ。ないないづくしの時代だったが、豊かな子どもの世界があった。(文・三木健)