空の時代の幕開け

更新日:2020年03月06日

商業航空路の開設

商業航空路の開設
〔昭和30年〈1955〉頃〕
写真提供・竹原房

飛行機の到着を待つ人びとと水牛

飛行機の到着を待つ人びとと水牛
〔昭和36年〈1961〉8月〕
写真撮影・杉本尚次

八重山と沖縄本島との往来は、戦前から戦後の一時期まで船舶による海上交通だけだった。八重山の空に初めて旅客機が飛んだのは、昭和三〇年(一九五五)七月二八日である。中華民国のCAT(航空運公司)航空会社と提携した沖縄旅行社が試験飛行をしたものだが、実際に一番機が飛んだのは、それから一年近くも後の昭和三一年六月一六日のこと。二二人を乗せたダグラス機で、約二時間半の飛行時間であった。
  飛行場は日本軍が戦前に平得の東方に建設した〃平得飛行場〃を拡張して急ごしらえしたものである。一番機の飛来には、百人余の見物人が集まり、警察がその整理に当たったほど物珍しかった。
  その後、経営主体は琉球航空株式会社、那覇空港ターミナル社、エア・アメリカ社と代わった。なんとか日に一便飛ばしたものの、欠航も多かった。昭和四二年(一九六七)に日本航空を主体とする南西航空が設立され、初めて「日の丸」の翼が飛び、翌年から国産のYS11型機が就航している。日本復帰後、観光客や一般の利用客増加にともない、昭和五四年(一九七九)からジェット機のボーイング七三七が導入され、便数も増えて本格的な〃空の時代〃を迎えるに至った。
(文・三木健)