新石垣港開港

更新日:2020年03月06日

新石垣港開港、刻々と大きくなる大型船の船影を 食い入るように見つめる2万人余の人びと

新石垣港開港、刻々と大きくなる大型船の船影を
食い入るように見つめる2万人余の人びと
〔昭和38年〈1963〉6月1日〕
写真撮影・石垣佳彦

続々と大型船が接岸、目の当たりにした船体に 歴史的な日を実感した

続々と大型船が接岸、目の当たりにした船体に
歴史的な日を実感した〔昭和38年〈1963〉6月1日〕
写真撮影・石垣佳彦

美崎の海が次第に埋め立てられ、港湾の整備が進められたのは、昭和三五年(一九六〇)以降のことである。
  浚渫船「さざなみ号」による航路の整備と埋め立てが進むなか、大型船が初めて石垣港に接岸したのは昭和三八年(一九六三)三月二六日のことであった。当日は五千人余の住民がかたずをのんで見守るなか、満潮時を見計らいながら沖に停泊していた八汐丸が夕闇の広がる港に静かに入港、午後七時三〇分過ぎ、無事に接岸すると感動の拍手が沸き上がり、歴史的なひとコマが印された。
  新石垣港開港式典は、同年六月一日に行なわれ、その折には、「郡民長年の夢実現、干満潮とわず接岸」と新聞は報じ、当日は、造成の進む埋め立て地に二万人余の人出が繰り出すなか、国幸丸、八汐丸、天竜丸、宮古丸などの大型船が次々と入港し、歴史的な開港が祝われた。
  大型船の接岸は、その後、テープによる見送りという新たな風物を生み出し、その頃から集団就職へと旅立つ若者たちを五色のテープが舞うなか、見送る光景が見られるようになった。
  なお、港湾の整備工事はその後も続き、昭和四〇年(一九六五)四月に全工程が終了し、ここに五か年の歳月を要して新石垣港が完成した。(文・松村順一)