テレビ開局

更新日:2020年03月06日

テレビを見入る人びと

OHK先島テレビ開局。食い入るようにテレビを見入る人びと
〔昭和42年〈1967〉12月頃〕
写真提供・八重山毎日新聞社

テレビ開局記念式典

OHK先島テレビ開局記念式典
〔昭和42年〈1967〉12月23日〕
写真提供・八重山毎日新聞社

昭和三七年(一九六二)一一月、当時の徳安実蔵総理府総務長官の八重山訪問をきっかけとして高まったテレビ実現化への動きは、児童生徒たちによる本土政府関係者へのハガキ運動など側面からの純真な訴えが大きな力となり、昭和四〇年八月、佐藤首相の沖縄初訪問を契機に大きく進展した。
  その後、昭和四二年(一九六七)一二月二三日、日本政府援助によって先島テレビ放送施設が完成し、最高の〃クリスマスプレゼント〃として譲渡され、八重山住民待望のテレビは歴史的な放映を開始した。
  放送初日、各家庭では家族そろって早々と夕食をすませ、テレビを囲んで歴史的な放映にそなえた。午後六時、期待と緊張が高まるなかで本放送が始まると大きな歓声が沸き上がり、テレビ情報化時代の幕開けが告げられた。
  その日は午後九時過ぎまで約三時間、「丹頂づるの四季」、連続テレビドラマ「旅路」「浮かれ地蔵」などの番組を放映。なかでも特に「旅路」は人気を呼び、放映時間になると道行く人もまばら。テーマ音楽が流れだすと、食い入るように画面を見つめる光景がみられた。
  ビデオテープによる一日五時間程度の放映とはいうものの、テレビ放映開始は、〃電波のへき地〃から一歩前進し、文化生活を享受できる時代の到来を実感させた。(文・松村順一)