八重山 近・現代史 略年表 1879年(明治12)~1945年(昭和20)8月14日

更新日:2020年03月02日

明治

1879年(明治12)
3月 廃藩置県布達(4月公布)
5月 沖縄県属・渡辺簡ら、廃藩置県を布達するため石垣島に来島
5月 工部省、西表島の鉱山調査
9月 那覇警察署八重山島分署設置
10月 渡辺簡、在番着任
八重山収税署を蔵元勘定座の一室に設置

 

1880年(明治13)
6月 八重山島役所を蔵元内に設置、在番を役所長と改称
7月 初代八重山島役所長・岡本浅雄着任
7月 沖縄県医院八重山島診療所を設置
7月 八重山から沖縄県師範学校速成科へ4人入学
10月 八重山島役所庁舎新築落成
10月 日清両国間で、八重山・宮古の清国への割譲を妥結。ただし両国の批准は立ち消えとなる(分島問題)

 

1881年(明治14)
1月 サトウキビの苗、県から3株配付される
3月 崎山寛好、官費医学生として上覇する
9月 八重山島役所長・内藤寛輔着任(2代)
9月 沖縄県医院八重山島診療所を同八重山島分局と改称
12月 役所事務と蔵元事務を分離
12月 石垣南小学校、蔵元勘定座内にて創立

 

1882年(明治15)
2月 古賀辰四郎、古賀商店八重山支店を開設
4月 田代安定、農商務省の調査で来島
7月 西表および与那国に八重山島役所在勤所を設置
8月 八重山郵便局を蔵元内に設置、郵便事務を取り扱う
8月 沖縄県令・上杉茂憲、八重山視察のため来島
沖縄開運株式会社の「大有丸」先島航路就航

 

1883年(明治16)
1月 太政官達により、沖縄県人民の徒刑流刑囚は八重山に配流とする(囚人の取り扱いは旧慣による)
4月 石垣南小学校、大川村の新校舎に移転
6月 那覇警察署八重山島分署を廃止し、八重山島役所において警察事務を取り扱う
6月 沖縄県医院八重山島分局を再び同八重山島診療所と改称
7月 八重山島役所長・松枝太一着任(3代)
種痘を正式に施行
ユタの医療業禁止される
丸一商店八重山支店開設

 

1884年(明治17)
サトウキビの苗8千本、県から配付され種苗圃を設置
古賀辰四郎、尖閣諸島に調査員を派遣

 

1885年(明治18)
4月 浜崎藤兵衛、浜崎商店を大川に開店
5月 八重山島役所長・西常央着任(4代)
5月 西表および与那国の八重山島役所在勤所を同出張所と改称
6月 与那国小学校創立
6月 西表および与那国に沖縄県医院八重山島診療所の出張所を設置
7月 田代安定、八重山の旧慣、風土病調査等で来島(『八重山群島急務意見書』提出)
12月 三井物産、西表島の石炭試掘を開始
12月 屠獣場設置

 

1886年(明治19)
3月 内務大臣・山形有朋来県、八重山・宮古も視察
3月 八重山島警察署設置(独立、昇格)
5月 西表と与那国に八重山島警察署の分署を新設
10月 製糖開始
八重山・宮古・久米島、政府からサトウキビの植え付け資金として3千8百円を借り受ける

 

1887年(明治20)
3月 サトウキビの苗62万余本、県から配付され、各村で栽培する
5月 内務省技手・古川栄、風土病調査のため来島
軍艦「金剛」沖縄本島・八重山・宮古を測量する
田代安定、帝国大学調査員として来島

 

1888年(明治21)
4月 石垣南小学校を石垣南尋常小学校と改称し、八重山島高等小学校創立する
12月 「甘蔗作付制限・禁止令」解除
12月 八重山島警察署の与那国分署を廃止し、巡査駐在所を設置
伊原間に巡査駐在所を設置

 

1889年(明治22)
2月 「大日本帝国憲法」発布
2月 瓦ぶきの制限解除
3月 八重山島警察署の西表分署を廃止し、巡査駐在所を設置
4月 沖縄県医院、沖縄県病院と改称し、同八重山島診療所は沖縄県病院八重山島出張所と改称
崎山寛好医員、沖縄県病院八重山島出張所勤務となる
与那国島の田原川治水土木工事竣工

 

1890年(明治23)
2月 沖縄県病院八重山島出張所に医員1人を増加し、もっぱら風土病の調査に従事さす
5月 黒島ウトほか1人、産婆養成所へ入所(明治25年卒業)
6月 白保・平得・川平・西表に簡易小学校(分教場)設置
7月 八重山島役所長・伊王野義介着任(5代)
10月 「教育勅語」発布
12月 石垣南尋常小学校で「教育勅語」の奉読式を挙行
12月 沖縄県病院の八重山・西表・与那国出張所を廃止する
12月 石垣島(医員・崎山寛好)、西表島(医員・竹下良熊)、与那国島(医員・内藤泰助)にそれぞれ村医を任命し、配置する
入れ墨の習俗禁止

 

1891年(明治24)
1月 各学校で明治天皇・皇后の御真影の拝戴式を挙行
1月 「八重山開墾規則」制定、石垣島での開墾認可
4月 崎山寛好医師、開業とともに風土病調査嘱託医を命ぜられる
4月 石垣南尋常小学校を大川尋常小学校と改称
10月 田村熊治(東京府)ら、石垣島のトゥン野に移住し、開拓に着手
12月 中川虎之助(徳島県)、名蔵開拓事業に着手(機械圧搾製糖業、馬耕改良犂を使用)
小笠原バナナ移植

 

1892年(明治25)
1月 八重山島役所長・太田祥介着任(6代)
1月 軍艦「海門」尖閣諸島調査
6月 我如古楽一郎(沖縄県医員)、八重山の風土病を調査
7月 首里士族25戸、シィーナ原へ移住開墾(代表・稲福政文)
11月 奄美大島からの開拓団、伊野田へ移住(代表・葛謙栄)
黒島ウトほか1人、産婆開業
貨幣この頃より地元に広がる(5銭白銅貨を俗に1升銭〈イッシュジン〉と呼んだ)

 

1893年(明治26)
4月 初めて女生徒を募集する
4月 首里士族27戸、川良原へ移住開墾(代表・川平朝美)
5月 那覇から山城次郎ら、大浜のカンジ原へ移住開墾
5月 この頃までに八重山開墾を許可された者80余人、18か所、385町歩に達する
5月 大川尋常小学校の各分教場を分校と改称
6月 大川尋常小学校黒島分校設置
6月 八重山島役所長の警察署長兼務を解除(警察署長任命)
7月 笹森儀助来島、八重山各島を調査
7月 中川虎之助ら、八重山開墾組合を組織し、石垣島の官有地2千5百町歩の開墾を出願(同年12月、1千5百町歩許可される)

 

1894年(明治27)
1月 「戸籍法」改正
2月 登野城・大川・石垣・新川・古見・上原の村学校廃止
3月 八重山郵便局、八重山島役所内に移転
5月 笹森儀助『南嶋探験』刊行
5月 衆議院で石垣島の官有地貸下げ(中川虎之助らに対する)が問題となる
7月 大川尋常小学校波照間分校設置
7月 三浦守治(東京帝国大学教授・医学博士)、風土病調査のため来島(マラリア原虫確認)
8月 日清戦争勃発(~明治28年)
養蚕業始まる
古賀辰四郎、尖閣諸島の開拓許可を申請する(領土所属不明などの理由で不許可)

 

1895年(明治28)
1月 日本政府、尖閣諸島の久場島・魚釣島を沖縄県の管轄とし、標杭の建設を決定
1月 中川虎之助、名蔵に八重山糖業株式会社設立
5月 八重山島高等小学校生徒、修学旅行先の竹富島で一斉に断髪される(断髪騒動)
5月 八重山島役所長・野村道安着任(7代)
5月 「下関条約」(「日清講和条約」、台湾・膨湖列島・遼東半島の割譲)批准
6月 大川尋常小学校小浜分校および古見分校設置
10月 『八重山島農業論』(仲良朝助著述)刊行
大倉組、西表島石炭採掘事業を開始
西表郵便局を内離島に開設

 

1896年(明治29)
3月 沖縄県区制および郡編制の勅令公布(4・1施行)
4月 「八重山郡」設置
4月 八重山島役所を八重山島庁と改称、役所長を島司と改称
4月 初代八重山島司・野村道安着任
4月 尖閣諸島を日本の領土とし、八重山郡に編入
5月 台内航路開始
7月 八重山島警察署、大川村に新築移転
9月 古賀辰四郎、尖閣諸島の開拓許可を得る
10月 中央気象台石垣島出張所設置
11月 中央気象台附属石垣島測候所と改称
11月 八重山税務署設置
沖縄開運株式会社・池畑運送店・広運会社、各出張所を開設
全郡に種痘を実施
マラリア有病地にキニーネを配付して患者を治療する

 

1897年(明治30)
3月 古賀辰四郎、尖閣諸島に出稼ぎ移民35人派遣し開拓事業を開始
3月 「沖縄県間切島吏員規定」公布(4・1施行)
4月 蔵元を廃止し、間切役場と改称、八重山は1郡1間切となり、間切長は島司が兼任、諸役人は解雇され、各村に村頭を置く
5月 鹿児島-沖縄本島-石垣島-台湾間海底電線敷設
5月 石垣、大川海岸沿いの糸満系漁民集落から火災発生、住家116軒焼失
7月 八重山通信所設置、一般公衆電報の取り扱い開始
9月 八重山通信所、八重山電信局と改称
11月 台風来襲、被害甚大

 

1898年(明治31)
1月 「徴兵令」八重山にも適用(免役特例措置設けられる)
3月 鹿児島葉煙草専売所八重山葉煙草専売支所設置
4月 大川尋常小学校伊原間分校および崎山分校設置
5月 徴兵参事員4人、八重山に配置
5月 古賀辰四郎、尖閣諸島に移民50人を引率し、開発を率先する
6月 八重山で初の徴兵検査、壮丁総数123人、内受験者55人。合格者甲種16人、乙種23人
9月 強震で石垣が崩れる
10月 岩崎卓爾、石垣島測候所勤務のため来島
11月 八重山電信局、八重山島郵便局の郵便事務を移管し、八重山郵便電信局と改称、郵便為替貯金の事務取り扱いも始める
12月 守屋伍造(医学博士)、マラリア調査のため来島

 

1899年(明治32)
1月 間切島会創設
4月 沖縄県土地整理事業、与那国から開始
6月 西表島に電信局を新設、西表島-八重山間電報事務取り扱い開始
8月 伝染病予防委員に8人任命される
8月 猛暑で35・4度を記録(15日。過去最高)
12月 奈良原繁知事、視察のために来島
魚市場創設(八重山郵便局南敷地)

 

1900年(明治33)
1月 八重山区裁判所新庁舎開庁式を挙行
2月 土地所有権の処分完了(宮古・八重山)
4月 株式会社第147銀行八重山出張所開設
5月 宮島幹之助(理学士)、黒岩恒(沖縄県師範学校教諭)尖閣諸島調査のため来島し、黒岩恒が「尖閣列島」と命名する
八重山の頑固党、国事犯として検挙される

 

1901年(明治34)
5月 北条侍従来島
竹富島巡査駐在所設

 

1902年(明治35)
3月 奈良原知事、八重山糖業株式会社から名蔵開墾地を譲り受ける
12月 八重山・宮古両郡の土地整理事業終了
12月 尖閣諸島魚釣島・久場島・南小島・北小島、大浜間切に編入、登野城村に地籍を設定
桃林寺境内に伝染病隔離舎を新築

 

1903年(明治36)
1月 八重山・宮古両郡に「地租条例および国税徴収法」施行(人頭税廃止)
4月 八重山郵便電信局、八重山郵便局と改称
5月 大川尋常小学校名蔵分教場設置
9月 八重山島司・黒川作助着任(2代)
11月 不就学女子のために「婦女学会」設置
デング熱流行する(その後、宮古・ 沖縄本島へ伝染し蔓延する)

 

1904年(明治37)
2月 日露戦争勃発(~明治38)
3月 徴兵に関する法規改正(両先島に対する免役特例廃止)
3月 愛国婦人会八重山支部結成
5月 鴨緑江畔のロシア戦で石垣島出身者戦死
7月 鳥居龍蔵(東京帝国大学教授)人類学調査のため来島、川平貝塚を発見。八重山各地を写真撮影
10月 魚市場、元の大川村番所敷地(現在の公設市場敷地)に移転
鹿川村廃村
東郷平八郎、船浮港視察

 

1905年(明治38)
1月 八重山島庁庁舎新築落成
5月 宮古島久松の漁師、バルチック艦隊の動静を急報する(八重山郵便局経由)
5月 八重山街道(桟橋通りの一部)、県道に編入
玉城保太郎ら(糸満の漁業者)、鳩間島・与那国で鰹業行なう
古賀辰四郎、尖閣諸島で鰹業開始
野底村廃村、ただし1戸踏みとどまる

 

1906年(明治39)
1月 八重山・宮古郡民選挙権獲得の請願運動起こる
1月 田代安定来島、岩崎卓爾と写真を撮る
2月 八重山島司・中馬孝吉着任(3代)
4月 大浜・宮良・白保・川平・竹富・黒島・小浜・西表・波照間の各分校は独立校となる
7月 「沖縄県杣山特別処分規則」公布により杣山整理事業開始
7月 「不動産登記法」施行
7月 八重山区裁判所内に不動産登記所を設置
10月 八重山・宮古に台風来襲、被害甚大
11月 古賀辰四郎、台湾からクスノキの苗3万本を尖閣諸島に移植する
屠獣場を登野城村の糸数原に移転許可
青年団誕生
西表島の国有地払い下げ問題起こる
八重山炭鉱汽船合名会社設立

 

1907年(明治40)
3月 平得・新城・鳩間の各分校は独立校となる
3月 伊波普猷、川平の大和墓・言語調査のため来島
4月 大川尋常小学校と八重山島高等小学校は分離独立する
4月 山林の払い下げ運動盛んに起こる
6月 与那国に飢饉起こる(前年の2回の台風による)
7月 八重山郡織物組合設立
8月 沖縄教育会八重山支部設置

 

1908年(明治41)
3月 伊波普猷、民俗・民謡調査のため来島
4月 「沖縄県及島嶼町村制」(特別町村制)施行、1郡1村の「八重山村」誕生、従来の行政区画である間切・島が町・村となり、村が字となる
4月 初代八重山村長に上江洲由恭就任
4月 義務教育6年制となる。高等科4年制を2年制に改める
国有林を村有に払い下げる(上江洲由恭八重山村長)
大阪商船会社荷客取扱店、発動機のはしけ船を設置

 

1909年(明治42)
4月 石垣島測候所、2階建て煉瓦造りに改築
5月 初の沖縄県議会議員選挙実施(大浜用要当選)
5月 岩崎卓爾『石垣島案内記』刊行
6月 照屋林顕、発動機船をもって鰹業を営業する
11月 奈良原繁の名蔵開墾地(元中川虎之助の八重山製糖の所有地)川勝富四郎へ売却される
川勝富四郎、名蔵で日蓮宗の布教を開始
上江洲由恭八重山村長、分村に関する意見書を知事へ提出
八重山産業組合設立
上原村廃村

 

1910年(明治43)
3月 大川尋常小学校、石垣尋常小学校と改称
4月 八重山島高等小学校に尋常科を併置し、登野城尋常高等小学校と改称
5月 ハレー彗星、石垣島で観測される
7月 中川恒次郎(衛生技師)マラリア調査を進める
9月 比嘉徳『八重山郡誌』刊行
10月 四カ字で大火(焼失家屋39戸)

 

1911年(明治44)
10月 八重山島警察署新築
10月 与那国漁業組合設立
11月 新川漁業組合・古見漁業組合設立
12月 伊波普猷、民謡採集で3度目の来島
県議会で「マラリア撲滅法」可決

 

大正

1912年(明治45・大正元)
4月 沖縄県農工銀行八重山出張所開設
4月 岩崎卓爾『八重山童謡集』刊行
5月 八重山村立八重山農林補習学校開校
6月 協和党(寄留民)と有志党(地元)、村会議員選挙をめぐり対立
7月 八重山島農会設立
安良村廃村

 

1913年(大正2)
2月 八重山村長に宮良用著選任される(2代)
3月 宮古-八重山間電報事務取り扱い開始
4月 八重山区裁判所を廃止、那覇区裁判所八重山出張所設置
5月 沖縄県議会議員選挙実施(大山永本当選)
9月 宮良長包ら、八重山に「子供の会」設立
11月 八重山島司・安東重起着任(4代)
日本海軍水路部、八重山測量を行なう

 

1914年(大正3)
4月 八重山村を4村に分村(石垣・大浜・竹富・与那国)石垣村長・宮良用著、大浜村長・安仁屋賢托、竹富村長・豊川善佐、与那国村長・森田孫詳
4月 学校併合をめぐり、大浜・宮良の字民対立する
5月 御木本幸吉、名蔵湾で黒蝶貝の養殖に着手(大正5年、川平へ移転)
6月 八重山通俗図書館開館
7月 八重山4村の村会議員選挙が初めて行なわれる
7月 第1次世界大戦勃発(~大正7)
7月 八重山教育部会、雑誌『八重山』刊行
天理教大浜布教所創設
マラリア撲滅事業中止
崎枝村・桃里村廃村

 

1915年(大正4)
9月 『八重山の研究』(比嘉徳著)刊行
11月 大正天皇御即位記念事業として時報楼建設
調合飼料(合肥)の使用開始

 

1916年(大正5)
2月 石垣村長に豊川善佐選任される(2代)
2月 大浜村長に上江洲由恭選任される(2代)
2月 竹富村長に安仁屋賢托選任される(2代)
5月 八重山水産組合設立
7月 西表炭坑から坑夫8人脱走する
8月 八重山産業株式会社設立
9月 光田健輔(保健衛生調査委員)、癩村設置調査のため来島
真宗布教所を大浜村に創設
ウリミバエ発見
竹富・黒島・小浜・新城・波照間・鳩間・西表に区制度を設け、区長を置く

 

1917年(大正6)
4月 『先嶋新聞』創刊
5月 沖縄県議会議員選挙実施(石垣孫方当選)
8月 八重山島司・和田竹四郎着任(5代)
9月 那覇区裁判所八重山出張所を平良区裁判所八重山出張所と改称

 

1918年(大正7)
2月 字石垣で大火
2月 東洋製糖株式会社八重山製糖所設置
2月 石垣、大浜両村で青年会設立
3月 字大川でも大火
9月 個人経営の火葬場新設
9月 八重山マラリア撲滅期成会設立(会長・譜久村正恭)
11月 石垣村議会が豊川善佐村長の不信任を決議、県知事に陳情書を提出
西表島に沖縄炭鉱株式会社設立
真宗布教所を西表炭坑に創設
天理教八重山分教所創設
盛山村廃村

 

1919年(大正8)
1月 大川で大火
4月 タップミノー9匹、台湾から移入(台湾総督府・羽鳥重郎博士)
5月 宮古・八重山に「衆議院議員選挙法」施行
8月 コレラ流行する(~11月・103人死亡)
9月 宮古・八重山に台風来襲(60メートル級)、被害甚大
11月 石垣島漁業組合設立
12月 国勢調査事務研究会発足
尖閣諸島魚釣島に漂着した中国福建省漁民31人を古賀事業所職員が救助する(翌9年、駐長崎中国領事から感謝状を贈られる)
瓜類移出禁止(ウリミバエのため)

 

1920年(大正9)
1月 沖縄産業銀行八重山支店開設
1月 普通町村制実施
3月 宮島幹之助、マラリア調査のため来島
3月 竹富村長に上間広起選任される(3代)
4月 石垣村長臨時代理に豊川善佐選任される
4月 八重山郡医師会設立
5月 衆議院議員選挙行なわれ、宮古・八重山で初めて選挙権を行使する(花城永渡当選)
6月 石垣村長臨時代理に宮良長扶選任される
8月 北里蘭、八重山の言語調査のため来島
9月 石垣村長に玻座真里模選任される(3代)
9月 与那国村長に真境名元輔選任される(2代)
9月 大浜村長に山里将教選任される(3代)
10月 第1回国勢調査実施
11月 竹富村役場新築落成
11月 『ひるぎの一葉』(岩崎卓爾著)刊行
大浜村長臨時代理に花城直俊選任される
12月 大浜村長に花城直俊選任される(4代)
12月 八重山島司・瀬戸秀兄着任(6代)
西表島で先島炭鉱株式会社設立

 

1921年(大正10)
1月 柳田国男、民俗調査のため来島
2月 『八重山新報』創刊
5月 佐世保海軍航空隊所属の水上飛行機、石垣港に不時着(飛行機の初飛来)
5月 沖縄県議会議員選挙実施(大浜用要当選)
7月 株式会社第147銀行八重山出張所、第147銀行八重山派出所と改称
11月 東洋製糖会社、事業を中止し、神戸の鈴木商店へ譲渡
12月 「マラリア予防班設置規則」に基づき、マラリア予防班事務所が八重山島庁内に設置(班長・深江雄次郎)
12月 大浜街道、県道に編入
尖閣諸島の大正島を内務省所管として地籍を設定
時報用鐘を新たに購入設置
キリスト教東邦宣教会伝道師来島
西表島で琉球炭鉱設立
公設市場設置

 

1922年(大正11)
1月 マラリア予防班事務所による防遏作業開始
2月 八重山郡水産会設立
2月 八重山郡農会設立
2月 相撲興行(京都相撲兜山一行、台湾巡業途中歌舞伎座で興行)
2月 第147銀行八重山派出所、第147銀行八重山代理店と改称
4月 「南島雑話会」設立
8月 田辺尚雄、音楽・舞踊調査のため来島
11月 自治橋落成

 

1923年(大正12)
2月 鎌倉芳太郎、桃林寺仁王像・権現堂等の美術調査で来島
2月 無限責任石垣村信用組合(石垣産業組合)設立
4月 石垣尋常小学校を石垣尋常高等小学校と改称
4月 八重山島司・鍵山寅寿着任(7代)
7月 八重山体育協会設立(会長・八重山島司)
7月 岩崎卓爾『やえまカブヤー』刊行
8月 折口信夫、民俗調査で来島
8月 大浜村長に花城直俊選任される(5代)
10月 石垣村忠魂碑除幕式および招魂祭を挙行
11月 『八重山民謡集上』(比嘉統熙著)刊行
石垣耕地整理事業着手
本山桂川、与那国調査

 

1924年(大正13)
2月 石垣島に鶏卵大の雹が降る
3月 「石垣町産業奨励補助規定」施行
3月 八重山島司・関卯次郎着任(8代)
3月 宮良長詳、沖縄県防疫医に任命され、予防 班長に就任(地元出身初)
4月 海軍飛行艇が船浮港に着水
4月 駆逐艦「蓬」、石垣港に寄港
4月 『八重山島民謡誌』(喜舎場永珣著)刊行
7月 宮良當壯、言語調査で帰島
9月 『先島の研究』(比嘉徳著)刊行
9月 石垣村長に玻座真里模、2期目選任される (4代)
10月 鳩間島近海で海底火山噴火、軽石が海岸に 漂着
10月 与那国村長に新里和盛選任される(3代)
11月 『児童の産業』(岩崎卓爾)創刊
12月 八重山桟橋株式会社設立、石垣港に木造桟 橋落成
真宗布教所を大浜村から石垣村へ移転
「記念運動場」建設(皇太子御成婚記念事 業)

 

1925年(大正14)
1月 『沖縄の人形芝居』(宮良當壯著)刊行
4月 「治安維持法」公布
4月 『海南小記』(柳田国男著)刊行
5月 沖縄県議会議員選挙実施(野添勇吉当選)
7月 飯村保三内務省防疫官、マラリア調査のため来島
8月 八重山郡青年団設立
8月 台風来襲(死傷者発生、被害総額約40万円)
8月 八重山郡四カ村連合運動会開催
10月 『与那国島図誌』(本山桂川著)刊行
竹富村役場出張所を石垣村内に設置
日本勧業銀行八重山代理店、県支金庫事務を開始
仲本賢貴技手、台湾から蓬莱米を移植

 

昭和

1926年(大正15年・昭和元)
1月 ラジオ放送受信(民間で初めて)
3月 石垣島測候所、鉄筋コンクリート庁舎に改築
5月 『採訪南島語彙稿』(宮良當壯著)刊行
6月 軍艦「松江」、八重山を測量
6月 「マラリア防遏規則」制定、マラリア予防班事務所をマラリア防遏所と改称
7月 八重山島庁を八重山支庁と改称、島司を支庁長と改称、初代支庁長・関卯次郎着任
7月 与那国村長に真境名元輔選任される(4代)
9月 与那国郵便局設置
10月 小泉丹・稗田憲太郎、マラリア調査のため来島
12月 石垣村、町制施行(初代石垣町長・玻座真里模)
12月 八重山電気株式会社設立

 

1927年(昭和2)
1月 八重山共信株式会社設立
1月 『先嶋朝日新聞』創刊
4月 「徴兵令」廃止、「兵役法」公布
5月 八重山電気株式会社事業開始(電力供給の初め)
6月 『石垣島気候編』(岩崎卓爾著)刊行
7月 大浜村長に嘉平善幸選任される(6代)
8月 八重山教員互助会組織される
10月 仲本賢貴技手ら蓬莱米2期作に成功
12月 大浜―白保間1里20町を県道に編入
12月 八重山畜産株式会社設立
優良農具の共同購入始まる
方面委員制度制定

 

1928年(昭和3)
1月 石垣町私設消防組設立
1月 石垣町在郷軍人警備隊、第1回演習を実施
3月 八重山建築組合設立
3月 『西表島開発策私論』(浦添為宗著)刊行
4月 石垣島測候所のポール(無線電信塔)2基竣工
4月 『八重山古謡第1輯』(宮良長包・宮良當壯共著)刊行
4月 日本青年館主催第3回郷土民謡舞踊大会に八重山芸能団を組織し、出演
8月 陸上競技大会(オリンピック大会)開催(八重山中学緑葉会主催)
8月 竹富村長に次呂久英松選任される(4代)
9月 八重山薬品合資会社設立
10月 石垣町長に山口盛包選任される(2代)
10月 郡下6校、御真影奉戴(昭和天皇)
11月 昭和天皇即位奉祝式
サトウキビの改良大茎種移植
御大典記念事業として観音堂への道路拡張修繕工事を行ない、観音堂境内に松木造林

 

1929年(昭和4)
5月 沖縄県議会議員選挙実施(大浜当忠・富川盛賢当選)
9月 八重山支庁長・松本嘉正着任
11月 先島航路改善期成会設立
12月 松立木所有権確認訴訟控訴事件、長崎控訴院において却下敗訴、石垣・大浜両町村とも上告したが、石垣町は取り下げ和解する
波照間島の燐鉱試掘開始
仲本賢貴技手、陸稲栽培に成功
台湾バナナ優良品種を移植
女教師、洋服着用
各字に主婦会設立
キリスト教、大川の花木長平宅で伝道開始
改良大豆種を移植

 

1930年(昭和5)
1月 ピアノ、登野城尋常高等小学校が購入
2月 熊本第6師団長・荒木貞夫陸軍中将来島
3月 石垣尋常高等小学校に国旗掲揚台設置
3月 八重山マラリア防遏所問題に関する郡民大会開催、マラリア防遏所の存置決議を採択し
  「請願書」を知事に提出
4月 『八重山古謡第2輯』(宮良長包・宮良當壯共著)刊行
5月 『八重山の研究』(大浜用恭著)刊行
6月 与那国村長に具志幸加選任される(5代)
6月 自動車(6人乗り)移入
6月 石垣町公益質屋設立
10月 日本教育労働者組合八重山支部結成
10月 民政党沖縄支部分会発足
11月 『八重山語彙』(宮良當壯著)刊行
12月 日本基督協会八重山伝道所設立許可
八重山支庁、台湾からパイナップルのスムースカイエン種数百本を導入して植え付けを奨励

 

1931年(昭和6)
2月 八重山支庁で登野城・石垣・大浜・竹富・与那国校へ御真影の伝達式を挙行
4月 石垣・登野城校、奉安殿建設
4月 駆逐艦「栗」、石垣港に入港
4月 井野次郎県知事、八重山郡視察のため来島
5月 黒島でタマネギの試作に成功
7月 大浜村長に花城直俊選任される(7代)
9月 熊本第6師団演習部隊による軍事演習実施
9月 満州事変勃発
10月 石垣町、忠魂碑前で招魂祭挙行
12月 満蒙問題八重山郡民大会を八重山館で開催

 

1932年(昭和7)
1月 八重山支庁長・垣花恵祥着任
1月 『八重山民報』創刊
2月 衆議院議員選挙実施(花城永渡当選)
3月 八重山郡養蚕実行組合設立
3月 軍部による飛行場候補地視察調査
3月 赤下橋・通路橋・磯辺橋竣工
4月 映画『肉弾三勇士』八重山館で上映
4月 「石垣町産業奨励補助規定」施行(大正13年設定は廃止)、「優良農具購入奨励規定」施行
4月 八重山郡畜産組合設立
4月 初の輸血療法行なわれる
4月 八重山郡下の教員・吏員200人の給与不払い問題化する
4月 石垣―川平、石垣―伊原間線、県道に編入
9月 石垣町長に山口盛包再選される(3代)
9月 満州事変1周年記念日に灯火管制実施
9月 県道・石垣―川平線の工事現場でストライキ起こる
9月 石垣町・大浜村の災害復旧工事セメント疑獄事件発生
11月 水雷敷設艦「八重山」、石垣港に寄港、石垣校校庭で軍事思想普及の映写会実施
11月 学校給食実施
11月 大島廣(九州帝国大学理学博士)、サンゴ礁生物調査のため来島(昭和8・9年にも来島)
12月 八重山教員思想事件起こる
政府、尖閣諸島魚釣島・久場島・南小島・北小島四島を古賀善次に払い下げる

 

1933年(昭和8)
1月 在郷軍人連合会により「八重山郡義勇軍」結団式挙行
1月 八重山教員思想事件で教員12人休職を命ぜられる
2月 花城永渡衆議院議員、沖縄航路改善議案を議会に提出
3月 宮良川の木造橋、コンクリート製に改築
3月 石垣町組合排水事業着工(フナーシードーの改修)
4月 ヤエマ幼稚園開園
4月 伊原間沖に浜松飛行隊重爆撃機不時着する
4月 海軍機「報告沖縄号」、訪問飛行で平喜名および石垣町上空から献納感謝のビラを投下して着陸する
4月 岩崎卓爾胸像除幕式挙行
5月 沖縄県議会議員選挙実施(山城興常・富川盛賢当選)
6月 八重山体育協会設立(会長・伊舎堂用展)
7月 愛国婦人会八重山支部、沖縄県出身兵への慰問袋・寄付金を県支部へ送付
9月 台風来襲、家屋・学校・桟橋などを破壊(50.3メートル、死傷者23人・行方不明者4人・損害額176万円余)
11月 石垣町主催、国民精神作興講演会開催
12月 非常時女性訓練強調週間諸行事行なわれる
奈良佐橋竣工
台湾から畜力として水牛導入
石垣町連合主婦会創立
西表島で丸三鉱業所宇多良炭鉱創業

 

1934年(昭和9)
2月 台風災害復旧工事国庫補助金10万円交付される
3月 轟橋竣工
3月 八重山郡義勇軍大会を兼ねた八重山郡在郷軍人大会開催、八重山郡義勇軍の戦闘演習実施
4月 八重山郷土研究会(会長・岩崎卓爾)発足
4月 与那国村長に新城安延選任される(6代)
4月 八重山民謡を初めてレコードに吹き込む(大浜津呂・崎山用能・仲本政子、コロムビアレコードから)
5月 初めての交通事故発生
7月 航路改善問題で郡民大会を開催
8月 江崎悌三(理学博士)、昆虫調査のため来島
8月 須藤利一、藁算調査のため来島
8月 八重山郡教育部会が精神作興大会開催。教育報国を決議
9月 私立八重山盲学校開校
9月 この頃から郡下の畜牛にピロプラズマ病蔓延、問題化する
11月 竹富町、招魂祭挙行
野底村、事実上廃村
干ばつ続き、八重山・宮古・久米島中心に食糧欠乏する
『八重山探検報告書』(高良鉄夫著)刊行

 

1935年(昭和10)
1月 八重山桟橋株式会社、石垣町へ移管
2月 登野城・石垣両校校舎落成
3月 平喜名橋・ブイナ橋竣工
3月 大日本国防婦人会石垣町分会を結成(その後、与那国村・大浜村・竹富村でも分会結成)
3月 八重山郵便局、電話の開通式を挙行
6月 大浜校校舎落成
6月 映画『久松五勇士』、八重山館で上映
8月 『海南時報』創刊
8月 須藤利一(台北高等学校教授)民俗調査のため来島
8月 大浜村長に太田守松選任される(8代)
9月 石垣町、選挙粛清運動を展開(青年選挙粛清会演説会開催)
9月 登野城・石垣両校で青年学校開校
10月 石垣町議会議員選挙事件発生(違反者500人、懲役14人、禁固9人)
10月 大同拓殖株式会社設立(パイナップルの栽培拡大)
10月 竹富村黒島の突堤竣工式を挙行
11月 国民精神作興週間諸行事を開始
11月 石垣町制10周年記念誌『石垣町誌』刊行
12月 石垣町制10周年記念式典、町役場落成祝賀会を開催
12月 宮良橋架橋の仲尾次政隆・宮良長重両翁の頌徳碑除幕式
豚舎兼用の便所を分離改善する

 

1936年(昭和11)
1月 八重山商工会設立
2月 八重山郵便局電話交換事務開始
3月 八重山連合女子青年団結成
3月 石垣町営桟橋(コンクリート製)竣工、ならびに護岸(コンクリート製)改築竣工
3月 桃林寺境内のヤラブ、沖縄県山林会から老樹名木に指定される(県下で7本のうち)
3月 八重山郡水産会の製氷工場落成
4月 石垣町長に大浜孫伴選任される(4代)
4月 大浜村長臨時代理に玉代勢孫伴選任される
5月 八重山在郷軍人連合会に海軍班設置
7月 中央気象台附属石垣島測候所は中央気象台石垣島測候所と改称
7月 石垣町在郷軍人分会、初の補充兵教育実施
7月 大浜村長に西本貞治選任される(9代)
8月 大浜村長に嘉平善幸選任される(10代)
8月 八重山郡復興共進会および教育品展覧会を開催
9月 伊波南哲『長編叙事詩オヤケ・アカハチ』刊行
9月 竹富村長に安里武信選任される(7代)
9月 郡下一斉マラリア検血開始
9月 八重山支庁長・平良辰雄着任
9月 与那国島に無電開通
11月 竹富郵便取扱所開所
12月 官民合同の時差撤廃協議会を開催

 

1937年(昭和12)
2月 西表島で南海炭鉱株式会社設立
3月 石垣町組合排水事業完工
4月 八重山農学校設立
5月 沖縄県議会議員選挙実施(玻名城長好・柴田米三当選)
6月 第6師団下、初の九州沖縄広域防空大演習実施
6月 大阪商船株式会社、先島航路を増便し、月5便となる
7月 日中戦争(支那事変)勃発
7月 北支事変支持八重山郡民大会開催
7月 石垣町内各字で武運長久の祈願祭実施
7月 石垣町軍人後援会結成(この頃、各地で結成)
7月 大浜村長に真玉橋朝珍選任される(11代)
9月 小浜、結願祭の祭費を節約して国防費に献納
9月 日中戦争(支那事変)で八重山郡初の戦死者が出る
10月 上海戦での皇軍大勝の奉祝提灯行列実施
10月 先島と本土・沖縄本島との1時間の時差撤廃
10月 波照間郵便取扱所開所
11月 石垣町の国民精神総動員強調週間始まる
12月 南京陥落戦勝祝賀会および提灯行列実施
12月 竹富村に沖縄県立診療所設置
土地改良八重山出張所設置

 

1938年(昭和13)
1月 川平―桴海線・与那国循環線、県道に編入
1月 石垣町内で勤労奉仕班組織
1月 八重山上布工業組合設立
1月 登野城壮年団結団式(この頃、各地で結成)
2月 「国民精神総動員石垣町実施綱領」決定
2月 新聞社主催の時局認識高揚学童凧揚げ大会開催
3月 白良校の女生徒が作業服としてモンペ服を仕立てて、着用
3月 竹富村長に柴田米三選任される(8代)
4月 「国家総動員法」公布
4月 与那国村長に慶田元貞則選任される(7代)
5月 鳩間郵便局取扱所開所
5月 西表の祖納で簡易水道落成
5月 小浜島郵便取扱所開所
5月 河村只雄(国民文化研究所教授)、家族制度調査のため来島
6月 竹富村長に山田武三選任される(9代)
7月 支那事変1周年記念時局認識高揚青年弁論大会開催
7月 ユタを一斉検挙。八重山島警察署、銃後を乱すとの理由
7月 在郷軍人会石垣町分会が支那事変1周年記念模擬市街戦実施
8月 満蒙開拓青少年義勇軍に9人合格
9月 出征兵士を出した家に「誉の家」の木札を配る
10月 広東陥落、武漢・三鎮攻略祝賀の石垣町民大提灯行列実施
10月 水牛上陸阻止、送還される(台湾からの移入)
11月 竹富村役場、石垣町へ移転
11月 沖縄製糖株式会社誘致問題で湧上聾人県議が東京から長文電報を打電
12月 淵上房太郎知事、八重山開発計画案を県議会に提出
12月 大浜村忠魂碑除幕式および招魂祭挙行
12月 竹富村長・山田武三有給村長となる
開南集落創建
改良和牛50頭移入
上地島の住民、西表島の南風見へ移住
ハンセン氏病患者、国頭愛楽園入園のため出発

 

1939年(昭和14)
2月 石垣・大浜両尋常高等小学校で沖縄連隊区貸与の戦利品などで時局展覧会開催
2月 石垣町合同町葬挙行
2月 淵上房太郎知事、銃後の八重山初視察
2月 職業能力申告(国民登録)実施
2月 八重山神社建設の動き始まる
3月 物資節約のため応召兵と新入営兵の送別会廃止
3月 八重山支庁長・神谷乗仁着任
4月 「石垣町軍人後援会」を県令に基づき「銃後奉公会」と改称
4月 石垣尋常高等小学校で標準語の家庭化を目標に徹底した児童の標準語指導を打ち出す
4月 与那国村警防団結成
5月 「改正兵役法」後、初の徴兵検査実施
5月 国家資源開発で農林省が尖閣諸島を調査
5月 金の買い上げ開始
5月 警防団結成(石垣町・大浜村・竹富村)
6月 登野城尋常高等小学校保護者懇談会、標準語励行運動の徹底を決議
6月 銃後の女性に牛馬耕講習(牛馬に標準語で掛声)
6月 八重山郡下防空訓練実施
6月 石垣町標準語行進曲作られる
7月 「国民徴用令」公布
8月 「反英排英」の郡民大会開催
8月 大浜村出征軍人妻の会開催
8月 西表島の祖納に八重山営林署設置
9月 与那国と台湾の漁業者間で珊瑚の採取について対立
9月 第2次世界大戦勃発
10月 郡下防空演習総合訓練実施
10月 『南方文化の探究』(河村只雄著)刊行
11月 中央気象台石垣島測候所は石垣島測候所と改称
11月 「誉の家」家族慰問会開催
12月 石垣町の国民精神総動員経済戦強調運動開始
12月 愛国婦人会分会結成(石垣町・大浜村)
12月 石垣町戦没軍人合同慰霊祭および招魂祭挙行
干ばつ続き、水田の3分の1が植え付け不能となる

 

1940年(昭和15)
3月 賀川豊彦、講演会で来島(帰京後、憲兵隊に拘引される)
3月 沖縄県建築協会八重山支部設立
4月 字石垣真地原で町営火葬場新設
4月 大日本国防婦人会八重山支部結成
5月 小売店に対し、切符制による飯米配給実施
5月 大日本傷痍軍人会八重山支部結成
5月 石垣町長に山口盛包選任される(5代)
7月 八重山南風見開墾計画、閣議で決定
8月 紀元2600年記念八重山神社建立奉賛会結成
8月 石垣町連合主婦会総会で戦時生活刷新断行など決議
8月 須藤利一、喜舎場永珣ら、『南島』第1輯を刊行
9月 八重山支庁長・東恩納寛仁着任
9月 石垣町立青年学校開校
10月 全国と呼応して大政翼賛会発足。3国同盟締結祝賀石垣町民大会開催
10月 在八重山台湾出身者の八重山台友会結成
10月 部落会・隣組が制度化され、部落常会・町常会・隣組常会を開催
10月 紀元2600年奉祝運動会開催
11月 初めて字登野城で隣組結成
11月 石垣町、紀元2600年記念式典を挙行
11月 字大川が58組の隣組を組織
11月 新体制下の八重山商業報国会結成

 

1941年(昭和16)
1月 八重山翼賛青年連盟結成
1月 八重山セメント製品工業組合結成
2月 黒島巡査駐在所新設
3月 大政翼賛会八重山支部結成(この頃各地で結成)
3月 与那国村長に仲嵩嘉尚選任される(8代)
3月 「国民学校令」発布、各学校が国民学校と改称
3月 沖縄県営南風見開墾事業着工
4月 大浜村字宮良で福禄寿・香炉など撤去
4月 石垣町食糧増産挺身隊結成
4月 八重山支庁、飯米配給切符制の実施を発表
4月 新生石垣町青少年団結成(この頃から各地で結成)
4月 八重山郡中等学校設置期成会結成
5月 八重山島警察署、「島」の1字削除、八重山警察署と改称
5月 八重山翼賛青年連盟が食糧増産報国農場を整地
6月 八重山郡青少年団結成
7月 大浜村長に真玉橋朝珍選任される(12代)
8月 西表島の船浮に臨時要塞建設着工
8月 八重山警察署が闇取引根絶の運動開始
8月 八重山郡産婆会結成
9月 豊見城村などから20数戸、川良原へ移住(川原集落創建)
9月 石垣島・与那国島で皆既日食観測
9月 石垣町主婦会が国民貯蓄およびモンペ普及を協議決定
9月 登野城国民学校模型グライダー飛翔大会実施
9月 石垣町字石垣で家庭防火群結成
10月 石垣町主婦会が興亜奉公日を期し、石垣町婦人勤労報国隊を結成
11月 川平婦人報国隊、隣保防空隊など結成
11月 与那国村役場落成
12月 太平洋戦争勃発(~昭和20)
12月 大日本傷痍軍人会八重山支部が敵国撃滅祈願大会を開催

 

1942年(昭和17)
1月 帝国在郷軍人会八重山郡連合分会が米英撃滅大会を開催
1月 大政翼賛会石垣町支部、米英撃滅必勝町民大会開催
2月 八重山郡翼賛壮年団結成
2月 翼賛壮年団など主催、時局講演および国民歌大会開催
2月 沖縄県立八重山中学校創立
3月 八重山郡各町村組合立高等女学校創立(4月に県立となる)
3月 西表島の船浮要塞へ陸軍駐屯する
4月 西表島に国立南風見診療所設置
4月 沖縄県議会議員選挙実施(大浜用立・柴田米三当選)
7月 石垣町常会、盆行事を新暦で行なうと決定
8月 大日本婦人会八重山支部結成(この頃各地で結成)
8月 八重山郡下翼賛壮年団大会開催
8月 石垣町桟橋落成式挙行
9月 八重山警察署、漁業者による海上防護団結成
11月 八重山郡青少年団大会開催
11月 八重山郡初の海軍志願兵徴募検査実施
12月 大東亜戦争1周年記念町民大会開催
12月 食糧営団八重山支所業務開始

 

1943年(昭和18)
1月 町内各字家庭防空群猛訓練実施
1月 字登野城でコンジン(コン神)や中国関係の軸物などを撤去
1月 挙郡一致八重山郡銃後奉公会連合会結成
1月 大舛松市中尉がガダルカナル島で戦死
1月 平喜名飛行場の建設作業開始
2月 大舛松市中尉に個人感状授与
3月 石垣全町民合唱の軍歌大会開催
3月 八重山支庁主催の部落会長・隣組長・農事実行組合長の一泊練成会開始
3月 竹富村長に玉盛淳博選任される(10代)
3月 八重山郡商業組合設立
5月 決戦体制下新発足の八重山郡教育部会第1回総会開催
5月 石垣町教化報国会結成
6月 八重山警察署、従来の訓練より一歩進んだ実戦的訓練の実施計画を発表
6月 大日本婦人会石垣町支部が経済決戦婦人大会を開催
6月 「母の学校」開設(石垣国民学校)
6月 食糧増産・米穀完全供出の挙町責任体制確立大会開催
7月 延べ2千数百人の生産拡充稲刈り奉仕隊による作業終了
7月 石垣町銃後奉公会・大日本婦人会石垣町支部共催「軍人妻の会」を開催
7月 石垣町農繁期託児所開設
8月 石垣町翼賛壮年団が暁天動員・竹槍訓練実施
9月 八重山郡翼賛壮年団が飛行機献納運動などを決議
9月 米英撃滅戦意高揚郡民大会開催
9月 航空記念行事(模型機飛翔大会)開催
9月 竹富島で島民総出の竹槍訓練実施
9月 平得飛行場、用地接収開始
10月 大舛松市、大尉に進級
11月 与那国村長に松田長茂選任される(9代)
11月 理髪業防諜団結成
11月 大舛松市大尉顕彰撃攘精神高揚八重山郡民大会開催
11月 登野城・石垣両国民学校練成大会開催
11月 登野城校で大東亜戦争2周年記念興亜展覧会開催
12月 農地荒廃絶滅を期す石垣町畜耕挺身隊結成
12月 観音寺部隊(海軍)平喜名飛行場へ駐屯
12月 重要戦時資材として鉄・銅・鉛を各家庭から回収
12月 桃林寺の梵鐘も重要戦時資材として供出
西表の内離島に朝鮮籍船「安東丸」漂着(安東丸事件)

 

1944年(昭和19)
1月 石垣島に特設警備隊召集編成
1月 八重山郡青少年団が暁天動員演習実施
1月 司および各部落の大日本婦人会幹部に対し、神仏混淆を一掃し、純日本式神事を行なうよう町が申し入れる
1月 大舛松市大尉武勲顕彰弁論大会開催
1月 登野城・石垣両国民学校の高等科生、38キロ強行軍を実施
1月 海軍甲種飛行予科生に4人合格
2月 平得海軍南飛行場建設着工
2月 石垣町銃後奉公会が国民徴用戦士家族慰安激励会を開催
2月 字登野城が天川御嶽の香炉を撤去し、神拝礼式に改める
3月 食糧増産の沖縄県農業会八重山支部設立
4月 八重山支庁長・大舛久雄着任
5月 独立混成第45旅団長・宮崎武之少将が先島守備隊長に任命される
5月 石垣町の従来の部落会を20町内に改組
5月 八重山保健所新設
6月 第128野戦飛行場設定隊(山田隊)、陸軍白保飛行場の建設着手
6月 各字で軍人妻の会結成
6月 富山丸(独立混成第44・45旅団の輸送船)撃沈される
7月 戦意高揚国民歌発表大会開催
7月 石垣・大浜両町村の司および大日本国防婦人会の代表が於茂登岳で戦捷祈願
7月 大舛松市大尉の八重山郡民葬を挙行
8月 第69飛行場大隊(浅沼隊)、白保に配備
8月 八重山農学校に独立混成第45旅団司令本部を設置
8月 陸軍部隊が各学校に駐留(児童生徒は民家などで授業を行なう)
8月 石垣町長に翁長信全選任される(6代)
9月 海軍石垣島警備隊司令部・井上乙彦大佐着任
9月 非戦闘員の台湾への集団疎開始まる
9月 西表船浮在の重砲兵第8連隊主力が石垣島の於茂登に移動
10月 石垣島の飛行場工事徴用の沖縄本島民、帰途に遭難
10月 米軍機初めて平喜名飛行場を空爆する
11月 旅団司令部が八重山郡下に防衛召集発令、第506特設警備工兵隊(通称・みのかさ部隊)編成
11月 川平の婦女子・老人に宮崎県への疎開命令下るが、数日後、疎開先が石垣島の崎枝に変更となる
12月 海軍石垣島警備隊、川平湾と宮良湾などに水上特攻艇「震洋」配備開始
各戸で防空壕構築

 

1945年(昭和20)
1月 石垣島の飛行場、空爆される
1月 石垣島の民家に爆弾投下
3月 八重山農学校・八重山中学校の生徒による鉄血勤皇隊の編成
3月 英機動部隊による八重山空爆
3月 誠第17飛行隊長・伊舎堂用久大尉ら、慶良間列島沖の米艦船に突入
4月 波照間島民、西表島への強制疎開開始
4月 空襲激化
4月 海軍石垣島警備隊、米兵捕虜3人をバンナ岳麓で処刑(石垣島事件)
4月 住民避難開始
5月 大舛久雄支庁長、空爆により支庁長官舎の壕で爆死
5月 米軍潜水艦、平得飛行場を艦砲射撃
5月 石垣・宮古の各部隊は第32軍下から台湾の第10方面軍直轄となる
6月 軍命による山中への強制疎開(退去)開始
6月 八重山の各部隊に「甲号戦備」下る
6月 前石垣町長・山口盛包ら郊外移動中、米軍機の攻撃を受け爆死
7月 八重山郵便局、空襲により全焼
7月 台湾疎開船爆撃を受け、尖閣諸島に漂着(「尖閣列島遭難事件」)
7月 疎開地白水で住民救護の協議行なわれる(この頃疎開地の山中でマラリア蔓延、死者3,647人)
7月 「甲号戦備」解除にともない、住民は疎開地の山中から帰宅